2011年 09月 28日
9月5日から8日まで、石巻に行ってきました。 5月、6月、7月に続き4回目の支援活動でした。 遅くなりましたが、報告記事になります。 当時の日記に加えて、毎日現地の仲間から送られてくるレポートを加えた内容にしています。 宮城県石巻市。震災前の人口はおよそ16万人の町。 太平洋と北上川の空は、ただひたすらに美しく。 駅前には島村ジョーがいます。 消防庁舎にはロボコンも 石巻には、漫画家・石ノ森章太郎の記念館、石ノ森萬画館があります。 そんなのんびりとした町に、311の震災がありました。 中州にあった石ノ森萬画館の1階は津波で甚大な被害をうけて、 半年たった今も休館中です。 幸い原画は2階以上にあり無事で、来年の再開館をめざしています。 震災から半年、語り尽くせぬほどに色々なことがありました。 きれいに片付いた場所、まだ片付かない場所。 景観だけがきれいになっても、人々にはたくさんの問題が山積みされています。 ここは石巻駅近くの、交通要所。 津波で信号が破壊されて以後、警察官がずっと交通整理をしていて、毎朝大渋滞する場所でした。 9月2日に、ようやくこの信号機が復活しました。 信号があるという当たり前のことだけで、なんだかとても安心できます。 この界隈の建物の多くは津波で電線や電信柱も破壊されていて、 いまだ信号機がない交差点もあり、全国から応援にきている警察官が毎日交通整理をしています。 (追記:9月29日、震災から203日後に、駅周辺の信号がすべて復活したそうです) 僕らのボランティアリーダー、吉村さん。 災害ボランティアのエキスパートで、タイ、スマトラ、四川、あらゆる大規模災害時に、 すぐに駆けつけて人命救助に尽力される方です。 今回の311の時は東京にいたそうですが、翌日312の朝4時には気仙沼に入り、 救助活動をしていました。 「なぜ石巻なんでしょうか、なぜ石巻には多くのボランティアが集まるのでしょうか?」 「死者行方不明者の数が多いのも理由だけど、他の地域に比べて、破壊された度合いが低かった。 大きな漁船・工場が流れて街中を破壊したのではなく、海水による被害が広範囲で、 重機も必要ではあるけど、大量のボランティアが人海戦術で活動すれば、 意外と早くに町をきれいにできるのではと判断したから」 とのことです。 現在、吉村さんは、台風で再被害にあった牡鹿半島で活動中です。 震災から半年がすぎて、予想以上に早く石巻市内は片付きました。 大規模炊き出しも終わり、避難所にいた人々は次々に仮設住宅に移っていきます。 そんな時に、和歌山で大きな台風被害がおこり、 石巻からもすぐに応援に駆けつけることになりました。 軽トラックに炊き出し資材・食材を積んで。 まだまだ積める、泥の掻き出し道具類も。 石巻から1000キロ離れた地へ。 行ってらっしゃい、気をつけて、たのんます。 この二人はいまだにずっと和歌山で泥掻き出しボランティアを続けています。 石巻市内では緊急支援活動はない、と判断したからこその和歌山行きでした。 まさかこの時には、あんなに大きな台風が襲来するとは思いませんでした。 地盤沈下した石巻市内の一部地域は大雨により、再び冠水しました。 (つづく)
by moonisup
| 2011-09-28 11:44
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