2011年 12月 13日
東京で5本焼いたパウンドケーキ。 特別なことをする予定ではなく、ただカットして40人分のオヤツになれば、 と思っていましたが、突然 「クリスマスバージョンに盛りつけて」 とのこと。 イチゴと、誰かのオヤツのシューチョコ(誰のだったんだろう、すまんです)を勝手に使って、 お菓子の家に。 「こんなおうちにすみたいねー」 って喜ぶ子ども達、かわいすぎる^^ トナカイをかぶった村長が子ども達とお母さん方に、プレゼントを渡して歩きます。 「いい子でしたかー」 「はーい」 一足早いクリスマスに、満面の笑顔。 もらったオモチャで遊んで、ケーキ食べて、興奮のまま消灯時間。 そして、夜も更けて。 「福島子ども元気村」の二番目のプロジェクトになります。 スタッフとお母さんたちとの懇親会。 子ども達を楽しませるが第一義なのですが、お母さん達から話を聞くことも、 大切なことです。 以下、僕が聞いた話、他のスタッフが聞いた話を書いていきます。 私情はさまずにそのまま。 辛い話もあるので、苦手な方は無理に読まれませんように。 ・屋外の放射線値が大きいので、まったく外で遊べなくて、 2歳6歳の子とずっと家の中にいて、ストレスがたまります。 ・海で泳いだり、山でよもぎを採ったりといった年中行事が出来なくて、 当たり前だったことが生活からなくなりました。 ・こうなってあらためて、福島っていいところだったんだと思いました。 ・家の前の値は90で、自分で土をほって袋にいれて庭の隅においたら、 30に下がった。役所の人は、下がりましたね、って言って何もしてくれません。 ・福島県のゴミをよそで処理してもらおうとは思わない、 福島県内で独自に処理施設を作るべきです。東京とかに迷惑はかけたくない。 でも、福島で作った電気を東京の人も使っていたんだと思うと、複雑な気持ちになります。 ・風評被害ではない、値の大きな福島産のものは自分達だって食べるわけありません。 きちんと検査、きちんと報道してほしい。 ・ホールボディカウンターで検査したら、私も子供も内部被爆と診断されました。 ・放射線で被曝していても、それは伝染病ではない、インフルエンザのように、 空気感染することはないのだから、福島の人間を差別しないで欲しい。 この子供達の将来を思うと、言葉にならない。 ・震災直後は停電していて、情報がまったくなく原発の事故も知らされませんでした。 事故直後に、屋外で配給物資をもらうために並び、川の水も汲んで使っていました。 ・移住なんてもちろん何度も考えます、仕事、家族、夫婦でも意見が食い違います。 この話を全部僕が聞いたわけではありません、後で仲間から聞いた話もあります。 話し合いは遅い時間まで続いたそうですが、最後まで参加しませんでした。 ここでの僕の役割は、翌朝6時に起きての朝食作りなので、台所を片付けて、 0時半に先に失礼したのです。 夜の木造校舎は寒いので、布団を昨夜よりも増やし、寝袋も使って眠りました。 何か考えようとしたのですが、一日中台所で立ち仕事をしていたので、 何も考えられずに、すとんと眠り落ちました。 (つづく)
by moonisup
| 2011-12-13 23:24
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